システムを変えるか、モデルをつくるか
国際的枠組みや国内の大規模規制は、議論や交渉を二十年続けて、実質的な進展がないということが普通にある。
これらに共通するのは、膨大な数の関係者の合意が必要なこと、しかし関係者の利害は鋭く対立すること、そのために調整に膨大な時間と労力がかかること。
そう言ったものに関わることが好きな人もいる。文句なく重要なイシューだからだ。紙面を賑わす。
でも、こう言ったものの調整や交渉を担当した経験を踏まえて、個人的にはあまり立ち入りたくはない。こういう場では、失敗は決して許されない、しかし前進はない。神経をすり減らしながら投じたとてつもない労力と、それに対して得られたものの少なさ。一言でいうと、徒労感が半端ではない。そのプロセス自体を楽しめる楽観的な人でないと持たない気がする。
自分の投じた時間と労力が、小さくとも着実な変化を生むことに今後は力を使いたいと思う。大きなシステムをいきなり変えようとするのは難しくても、小さく具体的な成功例をつくって、それを育てていくこと。デッドロックに陥ったイシューについては論より証拠が重要なフェイズだ。それに試すことのコストが下がってきているし、資金調達の手段も多様化している。公的な課題を一国の行政が丸抱えする時代は終わろうとしている。
アメリカや西欧の国々で起きた事は、うくぶんかのタイムラグの後、日本にも伝播する。方向性は間違いないとして、あとはどれだけ日本がその方向に進むのかという程度感だろう。
最後に、民主的に何十年も変えられなかったことが、技術革新によって数年でドラスティックに変わることがある。いまはその意味でも大きな変化の岐路にある。
キャリア観
ジョブローテーションが激しい組織にいるので、ポストを自分で選ぶことができない。また、新規事業を始めたとしても、時期が来れば次のポストに移ってしまう。組織がキャリア構築の大半を握っている。
同じ業界のシニアな人たちと話すと、疑うことなく、仕事というのはそういうものだ、という前提を持っていると強く感じる。与えられた仕事にしっかりとりくむのが大切だ、仕事は組織、すなわち人事が差配するものだ、と。その考えも、この業界で十年仕事をした者として、理解はできる。
ただ、それは同じ組織で一生働くことを前提とした考え方だなとも思う。もちろんバランスなわけだが、自分にキャリア構築の主導権を取り戻さなければいけない。自分の人生の責任を取れるのは自分しかいない。自分の望んだ方向と違うキャリアを積んしまったあとで、人事に文句を言っても遅い。
Bureaucracyへの耐性
久しぶりに出張でアメリカに行き、留学時代の元クラスメートと話す機会があった。
アメリカ人の友人が在学中からよく言っていた言葉が、大組織のbureaucracyを避けたいということ。今回、DCやサンフランシスコで働く友人たちからも再び同じことを聞いた。新鮮だった。
日本人でそう言ったことをいう友人はあまりいない。大組織の理不尽をまるっと飲み込んで、ようやく一人前の社会人という感じだ。そんなことを言っても現実は変わらないのだし、大きな組織であればどこだって変わらないと悟っている。
日本人はbureaucracyへの耐性が高い。アメリカ人は著しく低い。Bureaucracyに耐えられない、という理由で辞める日本人はあまりいないと思うけど、そういうアメリカ人はたくさんいる。それだけアメリカのほうが選択肢が多いからでもある。
余談だけれど、留学時代の日本人の友人はほとんどが帰国しているのに対して、中国、インド、韓国、マレーシアといった国の友人は、しっかりとアメリカ社会でパーマネントの職を勝ち取り、生き残っている。ハングリーさが違うな。
35歳になって
30歳になる時には特に感慨はなかったけれど、今回35歳になる時には、いよいよ来てしまったなと思った。
妻と子どもという守るべき家族がいて、キャリアもそれなりにあり、職場でも中堅として組織をリードすることが期待されている。寝る間も惜しんで仕事や勉強をして、前に前にと進んで来たけれど、逆にもう後戻りはできないという気がしてしまう。随分遠くまで来てしまったみたいだ。
もうゼロから始めるという考えはやめて、今までの積み重ねのうえに、次のステップを踏み出したい。