システムを変えるか、モデルをつくるか

国際的枠組みや国内の大規模規制は、議論や交渉を二十年続けて、実質的な進展がないということが普通にある。
公務員制度改革、財政収支改善、社会保障制度改革、気候変動対策の国際枠組構築、いわゆる岩盤規制の数々に関する規制改革、などなど。大規模なシステムを変えることは数十年を要する。

これらに共通するのは、膨大な数の関係者の合意が必要なこと、しかし関係者の利害は鋭く対立すること、そのために調整に膨大な時間と労力がかかること。

そう言ったものに関わることが好きな人もいる。文句なく重要なイシューだからだ。紙面を賑わす。

でも、こう言ったものの調整や交渉を担当した経験を踏まえて、個人的にはあまり立ち入りたくはない。こういう場では、失敗は決して許されない、しかし前進はない。神経をすり減らしながら投じたとてつもない労力と、それに対して得られたものの少なさ。一言でいうと、徒労感が半端ではない。そのプロセス自体を楽しめる楽観的な人でないと持たない気がする。

自分の投じた時間と労力が、小さくとも着実な変化を生むことに今後は力を使いたいと思う。大きなシステムをいきなり変えようとするのは難しくても、小さく具体的な成功例をつくって、それを育てていくこと。デッドロックに陥ったイシューについては論より証拠が重要なフェイズだ。それに試すことのコストが下がってきているし、資金調達の手段も多様化している。公的な課題を一国の行政が丸抱えする時代は終わろうとしている。

アメリカや西欧の国々で起きた事は、うくぶんかのタイムラグの後、日本にも伝播する。方向性は間違いないとして、あとはどれだけ日本がその方向に進むのかという程度感だろう。

最後に、民主的に何十年も変えられなかったことが、技術革新によって数年でドラスティックに変わることがある。いまはその意味でも大きな変化の岐路にある。